ATR音素バランス503文の出典

ATR音素バランス503文(通称: ATR503文)は、音声処理の研究者ならほとんどの人が知っているであろう。ATR503文は、ATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所)によって1988年に開発された音素バランス文であり、AセットからJセットの50文(Jセットのみ53文)10セットからなる [1, 2]。ここで言う音素バランスとは、音素(日本語で言えば、母音や子音などの、同じ音として扱われる最小単位)の並びを考慮して選択したという意味である。音素バランス文は音声認識や音声合成の研究開発に重要である。今でこそ多様な日本語の音声資源が利用されるものの、ATR503文はこれらの研究開発に広く利用されてきた。

ところで、ATR503文は、新聞、雑誌、手紙、小説、教科書などの出版物から無作為に抽出された文をもとに構成されている。第一に考えているのは音素バランスであるから、全く脈絡のない文が503個並んでいることになる(録音で喋らされる人はかなり苦労するようである)。そして中にはちょっと変わった文もあり(まず1文目が「あらゆる現実をすべて自分の方ほうへねじ曲げたのだ」である)、ATR503文を肴に一杯やるのは、音声研究者の密かな楽しみでもある。

このページでは、そんなATR503文を構成する光栄ある(?)文たちを、私がその出典を知っている限りにおいて紹介する。音素バランス文の出典をあれこれ語るのは野暮かもしれないが、お楽しみいただきたい。

注: ATR503文の全文はインターネット上で簡単に見つかるが、その音声データベースは有償であるし、そもそも著作権を考慮して全部を転記することは差し控える。

Aセット

a1

・・・現実と妥協したのではない。あらゆる現実を、すべて自分のほうへねじ曲げたのだ。・・・

出典: 伊丹十三, “この人の月間日記(第三十回),” 文藝春秋, 65 (2), p.366, 1987.

傑作『マルサの女』の撮影に関する監督本人の日記。1986年12月11日。

a27

・・・通称「バタンガス捕虜収容所」の朝食は午前七時である。パンまたは肉入りのおかゆ、スープ、ソーセージと野菜、コーヒーというメニューだ。午前八時、健康な捕虜は作業所へトラックで出発する。作業所はトラックで二十分くらい東に走った貨物廠だ。・・・

出典: 小橋博史, “1945「様式事始」,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。フィリピン・ルソン島にあった捕虜収容所の様子を描いたもの。

a48

・・・このテストが廃止された正確な日時を知らないが、二十九年に入ると、練習帳は売れなくなった。翌年、父の選挙を手伝って、遊説行脚のマネージャーを勤めたが、会場はしばしば小学校職員室のかたわらを過ぎる時、窓際に押し込められたその山を眼にし、大いにあわてたことがある。売り込むに当って、大学の心理学教室に籍を置くようなうそもついたのだ、それが今度は「自由丸の前途はまことに多難、候補者になりかわり、七重の膝を八重に折り、皆様の清き一票をたまわりたく」なんて、しゃあしゃあと口上述べる姿を、教師が眼にすれば、当選は覚束ない。・・・

出典: 野坂昭如, “失われし千金の夢,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

放送作家、歌手、作詞家(「おもちゃのチャチャチャ」初期版など)、そして『火垂るの墓』の著者として知られる野坂昭如の随筆からの引用。かなりめちゃくちゃな人だったようである。なお、文中の父は結局選挙に落ちた(野坂相如。1955年の参議院新潟選挙区補欠選挙)。

Bセット

b19

・・・大急ぎで窓口をはなれた。―しめた、駅員のやつ、つり銭を間違えやがった。

僕は、ほとんど夢中で駅前の人混みの間をすりぬけた。・・・

出典: 安岡章太郎, なまけものの思想, 角川書店, 1973.

安岡章太郎の小説からの引用。

b20

・・・僕は何よりも、窓口の鉄格子の向こう側にすわっていた駅員の横顔が、こっちを振りかえって笑ったとたんに、ひとりの普通の青年の顔になって感じられたことが、意外でもあったし、うれしい気もした。

このよろこびはむろん、家へ帰りついても消えずに続いた。・・・

出典: 安岡章太郎, なまけものの思想, 角川書店, 1973.

b19と同じ出典。

b34

・・・捕虜は朝六時半ごろ起床する。ラッパも鳴らないし、笛も鳴らないが、ぞろぞろと起き出し、洗面所へゆく。でないものは、広っぱの真ン中にあるトイレで、用を足す。・・・

出典: 小橋博史, “1945「様式事始」,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

a27およびg31と同じ出典。

Cセット

c2

・・・やがて証拠の書類や物品が押収され、諸君は取調べのため国税局へ連行される。ここで諸君はあらためて驚かされることになる。今日の調査は単に社長宅のみにとどまらず、会社はもちろん、各重役、経理担当者の自宅、二号さんのマンションから、取引先や銀行に及ぶ二十数ヶ所に、百三十人からの人数を投入して行われた徹底したものであったと聞かされたからである。・・・

出典: 伊丹十三, 「マルサの女」日記, p.150, 文藝春秋, 1987.

h1と同じ出典。これは脚本部分。

c32

・・・黒い樫の大木の森に生えている一本の桜の木―花が徐々に開いてゆくさまに夢中になっている人々の様子を、芭蕉はまるで絵に描いたように鮮やかに詠み上げたのだ。森の中の小さな家に住む人々が門の外にひんぱんに姿を現し、桜の花の開き具合を確かめ、春の到来の歓びを胸いっぱいに味わって、再び家の中に入ってゆく姿が、もののみごとに描写されているのである。冬が長くて辛ければ、それだけ歓びも大きいのだ。・・・

出典: ドナルド・キーン, “日本人と桜,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。『去来抄』のエピソードについて。

c35

・・・学年が二年に進むと楽器がオルガンからピアノに変わる。専門の女先生から音楽教室で習うようになった。先生の白い額は油を塗ったように光っていて、ときどき青い縦縞が浮く。高学年の男の子が「ヒス」と行っていたので、ぼくらも陰でそう読んだ。細長い指さきで激しく鍵を叩く。ぼくの胸は早鐘のように鳴る。・・・

出典: 藤井善雄, “オンチは悲し,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。オンチの著者が小学生の頃の思い出。

c36

・・・ところが幼児は、しばしばフィクションと現実とを混同する。ドラマを現実と思い込む。空飛ぶ人間のSFドラマを見て、屋根から飛びおりたりする。・・・

出典: 稲葉三千男, “おくに・おたか・おしん,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。当時流行していたNHK連続テレビ小説『おしん』について、そのブームを批評している文。

Dセット

d32

・・・あの出鱈目がと思う者が、高い地位につくことがいくらもあるのだ。

われわれ技術者は、最高の技術、最善の手を追求して明け暮れしてきた。好い加減の手というものは許されない。そういうものだと思っていた。つい昨日まで、そうした世界に居た者の眼からすれば、無責任や出鱈目がまかり通る政界などは、驚くばかりである。・・・

出典: 升田幸三, “引退五年,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。升田幸三実力制第四代名人の文ということで、ここで言う技術者とは、将棋棋士のことであった。

Eセット

e6

・・・「外地」から戦地へだまされて連れて行かれた女性の数はわからない。日本の女性を含め、彼女たちは軍需物資なみに扱われた。軍馬と共に船底に押しこまれて運ばれることもあった(千田夏光『従軍慰安婦・慶子』)。軍隊の暗部を今さら、という人もいるだろう。だが軍需物資として消耗品のように捨てられた女性たちの存在はやはり、戦争史に刻まれねばならぬ。・・・

出典: 天声人語 1985年(昭和60年)8月19日, 朝日新聞.

天声人語からの引用。慰安婦についての話。i6と同じ出典。

e8

・・・そして、孤児たちをかこむ障壁を少しずつでも壊してゆくこと。「日本に帰国して一番困ったのは、子どもが学校でいじめられること」「日本人は引き上げの苦しさばかりいい、中国人の傷を考えない」。胸に突き刺さる言葉だ。

出典: 天声人語 1985年(昭和60年)9月11日, 朝日新聞.

天声人語からの引用。いわゆる中国残留孤児の話。

e34

・・・山の診療所で最も注意しなければならぬのは、小児の病気であった。訴えが少く、進行が急速だからだ。二年間の僻地暮しで、やっとその恐しさが判った。・・・

出典: 北上健介, “診療夜話,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。著者は医師。

e46

・・・祖母は、おおむね機嫌よくサイコロをころがしているのだが、「ふりだしへもどる」という目が出ると、ちょっと顔をくもらせた。「ふりだし」はお江戸日本橋だったが、東京に住んでいて戦後事情があって清水に住むようになった自分のことが、ふと頭をよぎるのかもしれなかった。祖母にとって、「ふりだし」はお江戸日本橋ではなく、亭主が別のひとと住んでいる東京のイメージだったのだろう。・・・

出典: 村松友視, “ふり出しへ戻る,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

随筆集からの引用。

e47

・・・非行をはたらく少年、少女が、どんどん増えていますが、ちっとも不思議ではありません。もっとやれ、もっとやれ、と親や教師がハッパをかけているからです。・・・

出典: 酒井大岳, “汗が子を育てる,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

随筆集からの引用。著者は曹洞宗の住職で、もと高校教員。

e49

・・・新聞の論説欄を読んだって何もわからないが三面記事を読んだらその国のことがちょっとはのみこめる。ジャーナリストになりたければ自転車のパンク直しなどは理想的な職業だよ。えらい人の論文なんか読むな。あんな物は新聞や雑誌の白いスペースを埋めるための砂利だ

「そんなもんですか」

「まあね」・・・

出典: 開高健, 岸辺の祭り, 角川書店, 1971.

開高健の小説からの引用。ベトナム戦争が舞台。

e50

・・・五年前にも八年前にもこの時刻にはおなじ席にすわっておなじ花が流れていくのを毎日のように眺めていたものだが、頭上にはたえまなくヘリコプターの爆音が聞え、夜空を赤い灯が点滅しながら旋回し、十分おきに照明弾がゆっくりと落ちてきて蘇鉄の林、椰子の木立、野立看板、河、花を蒼白にキラキラと照したものだった。・・・

(ATR503文では、「夜空をを赤い灯が点滅しながら旋回し十分おきに照明弾がゆっくりと落ちてくる。」)

出典: 開高健, “飽満の種子,” 開高健全集, 9, p.91, 新潮社, 1992.

開高健の小説からの引用。ベトナム戦争が舞台。

Fセット

f29

・・・私がカイロを訪れていたのは、向こうの季節感でいうと春のはじめ頃だったが、それでも日中は五十度を越していた。タクシーのクーラーが発動しない。クーラーをフル廻転させてもすぐにこわれてしまうのだという。

それで窓をあけると、火傷をしそうな熱風が吹き込んでくる。

もっとも、アラブの石油王たちは、こういうカイロに避暑に来ているのである。・・・

出典: 色川武大, “エジプトの水,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。カイロは暑かろう。

f30

・・・私はその婦人が妊娠している、と確信した。色白で、透けるような肌で、やや薄い色の瞳であった。お腹がふくらんでいるのは見えなかったが、私は妙に確信を覚えた。・・・

出典: 舟越保武, “モナリザの眼,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。彫刻家である著者が、モナリザについて考察している話。ここに出てくる婦人は、電車で著者の前の席に座っていた人。

f33

・・・向田邦子の碑が建った。私が一番古い友達というので、碑文に一筆すすめられた。あれこれ考えたが、浅学菲才の身では仲々に思いもこめられぬ。・・・

出典: 森繁久彌, “時は巡り 友は去り,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。1981年に亡くなった友人・向田邦子を偲んだ話。ここに出てくる碑は、多磨霊園にある向田邦子の墓の脇にある碑のこと。

f49

・・・去年、キリキリ痛む胃を押えながらテレビの“夢千代日記”をやっと書きあげたのが十一月、その頃になると黒い血便が続き、さすが横着な私も我慢しきれず胃腸の専門病院へ入院した。入院したとたんに吐血がはじまった。・・・

出典: 早坂暁, “とてもいい心臓です,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

随筆集からの引用。相当横着な人である。

Gセット

g11

・・・よごれた窓から雨に濡れた街が見える。高速道路をつくるためにどろどろに掘りかえされた道路と毀された家とは戰時中の街に戻ったようである。うすぎたない電信柱に紀文のおでんだのサンヨーテレビだのという廣告をうちつけている。・・・

出典: 遠藤周作, 哀歌, p.217, 講談社, 1971.

遠藤周作の小説からの引用。

g20

・・・少年はその場を逃げ出して、亡くなつた母親の里へ行くために、現在、可部行のこの電車に乗つてゐる。

少年は喋り終ると眉をしかめて口をつぐんでしまつた。婆さんは叱られでもしたかのやうに、きちんと腰をかけて項垂れたきり何も云はなかつた。手拭を姐さんかぶりにした六十前後の品のいい婆さんであつた。・・・

出典: 井伏鱒二, 黒い雨, 新潮社, 1966.

井伏鱒二の小説からの引用。原爆投下直後の話。

g31

・・・捕虜は米軍の戦闘服を着せられ、背中に白いペンキで「PW」と書かれた。プリズナー・オブ・ウォー、すなわち「捕虜」の頭文字である。持ち物は食器、着替えの下着、タオル、洗面用具などだ。・・・

出典: 小橋博史, “1945「洋式事始」,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

a27およびb34と同じ出典。

g35

・・・滝野川中里で十年以上も住んだ私の家は、これよりさき強制疎開で取りこわされて、私の一家は近くに移り住んでいた。双葉荘というアパートを経営していた日本画家のSさんが、いちはやく埼玉県の久喜に疎開してしまったので、そのあとを借りて引越したわけである。しかし、いつまでも東京あたりでぐずぐずしていれば、いずれは焼け出されるのではないかという不安はつねにあった。・・・

出典: 八杉龍一, “東京大空襲,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。「焼け出される」は比喩でもなんでもない。

Hセット

h1

・・・帰宅して風呂へ入ったら風呂の壁に黄色い油のようなものが滴滴とついている。よく見ればなんのことはない、ただの水滴である。世界が黄色く見えるという表現はリアリズムだったのだ。・・・

出典: 伊丹十三, 「マルサの女」日記, p.193, 文藝春秋, 1987.

c2と同じ出典。1986年11月13日の日記。

h16

・・・選挙公約をどう思っているか?いえ、反省はしておりません。閻魔様の前ですが、選挙でだますなんて大したことではありません。だまされるほうの知識水準に問題があるのでございます。・・・

出典: 天声人語 1986年(昭和61年)11月29日, 朝日新聞.

天声人語からの引用。当時話題となっていた大型間接税(今の消費税)導入についての皮肉。

h22

・・・彼等は闇物資を運ぶに汲々として、乗客を侮り……」と車内で演説を始める声が聞えて来た。ところが、今度は電車が順調に動きだしたので、がらがらと響く音の方が大きくて演説はそれきりで終つた。・・・

出典: 井伏鱒二, 黒い雨, 新潮社, 1966.

g20およびi23と同じ出典。

h34

・・・正直なところ、私も『おしん』は好きである。よくできたドラマだと思う。とはいえ、ドラマはあくまでもドラマである。虚構であって、現実ではない。・・・

(ATR503文では、「ドラマはあくまでもドラマであり虚構であって現実ではない。」)

出典: 稲葉三千男, “おくに・おたか・おしん,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

c36と同じ出典。

h45

この一週間、午後の時間を全部庭で火を燃やしながら過ごした。

燃やす物は、家の周囲いっぱいに積もった落葉である。それを箒で集め、ドラムカンの焼却炉に投げ入れる。・・・

出典: 玉木英幸, “檜原村通信―山里の焚き火から,” 午後おそい客, 文藝春秋, 1984.

随筆集からの引用。

h46

・・・知能テストは、GHQの押しつけであるとして、止めたのなら、ぼくは敢然と、護憲派の如く、テストを続行させればよかったのだ。そのためには文部省筋に袖の下を使い、日教組を巻き込み、PTAを操る。知能テスト産業を確立する下地はあった、百二から五に上った時の、母親のうれしそうな表情が、脳裡によみがえった。小学校の全生徒が何人いるか知らないが、その卒業に当って施すこととし、これに向けてトレーニングを行う、「知的胎教」からはじまって、学齢前の児童をも対象となし得よう。・・・

出典: 野坂昭如, “失われし千金の夢,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

a48と同じ出典。

Iセット

i5

・・・最近「平和をつくる沖縄百人委」が実施した調査によると、白保の海にはまだアオサンゴの大群落が残っていたそうだ。「天然記念物級の規模」という学者の発言もあった。・・・

出典: 天声人語 1985年(昭和60年)7月13日, 朝日新聞.

天声人語からの引用。当時反対運動が起きていた、石垣島の海上新空港計画についての話。結局、反対運動は実って埋め立ては中止され、サンゴは残った。その後、新空港は陸上空港の形で建設され、新石垣空港として2013年に開港した。

i6

・・・四、五人の若者が「鎮魂之碑」と書かれた木の柱をかつぎ、海のみえる丘を上った。車いすの城田すず子さん(仮名)が続き、さらに百人近い「かにた」の女性が続いた。いちどは狭斜の地に身をおいた人たちである。セミが鳴き、夕日をあびた絹雲が淡いサンゴ色に染まっていた。木の柱は、丘の上に建てられた。・・・

出典: 天声人語 1985年(昭和60年)8月19日, 朝日新聞.

天声人語からの引用。千葉県館山市「かにた婦人の村」内にある(日本人を含む)慰安婦鎮魂の碑についての話。

i23

・・・つい二三日前、この麻シャツの男が山口から広島へ帰る汽車のなかで、乗客が込みあつてゐるのに一人の陸軍中尉が長靴を脱いで座席に寝そべつてゐた。横暴の観が際立つてゐたが、誰もそれを咎める者はゐなかつた。検札に来た車掌も見て見ぬふりである。・・・

出典: 井伏鱒二, 黒い雨, 新潮社, 1966.

h22およびg20と同じ出典。

i45

・・・「指導者が二人だけで、静かな村の湖畔のテラスか庭の一隅で話し合う。戦争は、この世の最悪のわざわいだということで意見の一致をみる。水に映る影やさざ波を目で追い、二人とも穏やかで、謙虚で誠実だ。平和を望み、握手しあい、兄弟のような気持ちで別れを告げる

戦前のフランスの外交官で、『オンディーヌ』などの作者としても有名なジャン・ジロドーは、首脳会談というものについてそんなふうにいい、「だが、翌日戦争は起こるのだ」と語っている。・・・

出典: 関場誓子, 超大国の回転木馬: 米ソ核交渉の6000日, p.240, サイマル出版会, 1988.

ジャン・ジロドー(ジャン・ジロドゥ)の言葉である。

i48

・・・ここにいるアメリカ兵たちがポケット・マネーをだしあい、サイゴンへドラムやサキソフォンを買いにでかけた。アコーデオンとトラムペットも入るかもしれない。明朝それが届いたら腕におぼえのある連中を組んで上陸用船艇であちら岸へわたる。

「楽器でヴェトコンをやっつける?」

久瀬がたずねかえすと、

「武器なき闘いですよ」

シーグラム大尉は冷静に答えた。・・・

出典: 開高健, 岸辺の祭り, 角川書店, 1971.

e49と同じ出典。

Jセット

j33

・・・いつの頃からか、私は、夜、床に入る直前ひざまずき、祈る仕草をするようになった。

「明日、お母さんと、喧嘩になりませんように、お母さんが、私を叱りませんように、私が、決して、失敗しませんように」

私は、ひたすら、返事のきこえるのを、期待して、長い時間祈る。それは、たいてい一時間にも及ぶ。私の部屋には、バカでかい、時計の振子の音だけが響きわたる。・・・

出典: 中村おがわ, “うちのおにババ,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

随筆集からの引用。身体障害者である著者(1931年生)が、子供の頃を思い返す話。

j34

私はどうも自然というものが嫌いな男で、日本人としては珍しいタイプなのではないかと思う。月、雪、花、山、海、川、みんな嫌いだ。嫌いというのは、憎らしいという意味でなく、怖い、というのに近い。

山が怖い。海が怖い。空も怖い。雲というものが、実に嫌だ。自分より大きく感じられるものはすべて怖い。・・・

出典: 色川武大, “エジプトの水,” 人の匂ひ, 文藝春秋 ,1985.

f29と同じ出典。

j35

・・・電車の中で、前の席に坐っていた婦人の眼を見た時、ハテナ、この眼はどこかで見た眼だゾ、と思った。その婦人は、眼をこっちに向けてはいるが、見てはいない。視線が外に向かっているのだが、外を見ていない。その視線は、彼女自身の内に向けられている。・・・

出典: 舟越保武, “モナリザの眼,” 人の匂ひ, 文藝春秋, 1985.

f30と同じ出典。

j48

・・・私は、約束の待合わせ場所で、お互いになんとなく探し求めておれば、四十二年という歳月のへだたりが、お互いを老いさせているとしても、それなりにわかるだろう、という漠然とした自信はあった。

しかし、約束の場所を離れた、いわば行きずりでのこの出会いが、瞬間的にお互いを確かめ合えたことに、私は霊感のようなものを感ぜずにはおれなかった。

私たちは、静かに歩みより、頭をさげた。その一瞬、私はかつての負傷兵と看護婦さんの再会という、いわばありきたりなドラマを乗りこえた、分身の出会いのような親わしさに包まれていった。・・・

出典: 山口進, “四十二年目の再会,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

随筆集からの引用。

j49

・・・雨のためか、野鳥が群がって奇声をあげていた。私はふとその声が、私から去っていった人の嘲りの声に聞えた。怒りが胸元を走った。・・・

出典: 谷田啓一, “さくら坂,” 耳ぶくろ, 文藝春秋, 1983.

随筆集からの引用。

参考文献